サッカーのワールドカップ(W杯) カタール大会が、2022年11月20日に開催されます。
そして、その日本代表メンバー26人が11月1日に発表されますね。
誰が選ばれるのか注目ですね!
ワールドカップの日本代表発表は毎大会大きな話題を呼びますが、過去に非常に衝撃だったのは、2002年の日韓大会の中村俊輔選手の落選だったのではないでしょうか。
この記事では、日韓大会の代表選考で中村俊輔の落選理由は何だったのか、なぜ落ちたのかを振り返ってみたいと思います。
中村俊輔のワールドカップの落選理由は?
日韓ワールドカップは、代表枠は23人でした。
開催国である日本は予選が免除されていましたので、親善試合等を通して、メンバーの選定をする必要がありました。
中村俊輔選手は、2000年のJリーグでMVPを獲得、日韓ワールドカップの時に23歳であり、サッカー選手として脂が乗りきった時期を向かえていました。
中村俊輔の落選理由
トルシエ監督は、代表選手枠23人のうち、3つのカテゴリーに分けたといいます。
1つ目は、試合をスタートをさせる選手15人。
2つ目は、試合を終わらせる選手4~5人。
そして、3つ目は、恐らく1試合も出場する機会がないことになる選手。
つまり、3つ目に入る選手は、雰囲気も作れる選手でいけないとのことでした。
その中で、中村俊輔選手は、1つ目にしか属さない選手であったとのことでした。
中村俊輔選手は、直前にスペイン遠征が3週間あり怪我をしていた為、別メニューで練習をしていたことが影響して、1つ目のグループの15人に入れることができなかったとのことでした。
世間の反応は?
世間の反応は様々でしたが、外国人監督ということもあり、否定的な意見も多くみられました。
そして、その反響の大きさはものすごかったです。
“代表選手のパターンは、監督の数だけ存在する”というように、結局は監督の好みになってくるものかなと考えています。
そして、当時のトルシエ監督は、好き嫌いがはっきりしていた監督だったのかなと思います。
まとめ
この記事では「中村俊輔のワールドカップ落選理由は?日韓W杯はなぜ落ちたか」をご紹介しました。
ワールドカップ カタール大会の代表選考ではどんなサプライズが待っているのでしょうか!?
楽しみにしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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